チチェン・イツァ

’09年1月

1.コスメル到着まで29時間
2.コスメルでのダイビング
3.コスメルでの生活
4.セノーテダイビング
5.チチェン・イツァ
  5.1 チチェン・イツァ
  5.2 帰国



2018年 カンクン
2013年 カンクン、セノーテ、ドルフィンスイム

5.1 チチェン・イツァ Chichen Itza

 7日目、ホテル前8時ピックアップ。ツアー料金は入場料・昼食込$90。大型バスにはあの豪華なホテルから乗ってきた、本当のハネムーンらしい20人程の日本人客がいた。

 日本語ペラペラのフェルナンドさんのガイドで、説明を受けながら約2時間で到着。


 ビデオ持込は$3、カメラは無料。歩き始めるとまもなく、あのよく写真で見るククルカン・ピラミッドが見えてきた。


 まず生贄の神殿から、球技場へ。とにかくマヤ文明は生贄の文明で、いたる所に首を切られたレリーフなどが彫ってある。フェルナンドの説明がだんだん熱くなっていく。試合に勝った方が生贄になり、首を捧げるそうだ。ヘーッ。

 中央の丸い輪に部分に石の球を投げ入れる競技


 鷲とジャガーの神殿


 チャックモール(生贄の台座)。この上に勇者の心臓が、、、


 いろいろと長ーい説明が終わり、やっとフリータイム。いよいよピラミッドの急階段(45度、91段)を昇った。Yuはガンガン昇ったけど、Chiは下を見たらびびったようで、両手を着きながら昇って来た。


 最上階でもぐるりと1周したが、すれ違うのがやっとの狭さ。もちろん手摺りなんかなく、下を見るとびびった。でも上から見る景色は最高。緑のジャングルがどこまでも続き、彼方にまっすぐな地平線が見えた。降りる時はロープのある方向からゆっくりと。


 春分の日には世界中からこんなに観光客が集まるそうです。


 その後、生贄の少女が沈んでいたというセノーテを見学。昨日のものとは違い、上から見ると濁って見えた。


 フリータイムが終わり、またフェルナンドの丁寧な説明を聞きながら、旧チチェン遺跡へ。

 戦士の神殿。一番活躍した戦士が最上段へ生贄にされたらしい。


 千本柱の回廊


 木陰ではイグアナが休息中


 天文台。かなり正確な天球図が作られていた。


 Yuは小学校の遠足の頃から団体で説明を聞くのは嫌いだったので、ひとりであっちこっちへブラブラ。アメリカ人のおにーさんが芝生に寝っころがってたので、一緒に休んでた。歩き疲れたけど面白かった。

 帰りはマヤ人の村や町を通りながら、カンクンへ。途中のお土産やさんで銀製品を買う時には、持っていた3色ボールペンを差し出す代わりに、$8まけてもらった。カンクンではホテルゾーンを通ったので、思いがけずゴージャスなホテル群を見られてラッキー。とにかくこんな凄いリゾートホテル見たことない。食事もショッピングもお金かかりそー。

 最後に私たちはダウンタウンのスーパーの前で降ろしてもらった。さっきのホテルゾーンと比べて、断然普通の町の中。Chi曰く“あのホテルゾーンのテレビ番組やパンフレットを見て、今回の旅行を決めたはずなのに、なんかYuにだまされたみたい”。
 最後のショッピングをして、歩き疲れたので、今日も夕食は向いの“山本”。


5.2 帰国

 8日目、帰りのピックアップは4時30分なので、4時にモーニングコールを頼んでたけど、音沙汰なし。フロントに行ったら、夕べ頼んで“OK”と言ってたおっさんが椅子で寝ていた。メキシコだなー。
 でも車の送迎は、すべて時間が正確だったのでよかった。エアーは5時からチェックイン。
 空港内のショップは5時になると開き出した。最後の買い物で、残っていたメキシコ・ペソをすべて使い切った。今回の旅行はカードがあまり使えず、$20札でもお釣がないと言われる。チップもたくさん使うので、$1札の必要性を凄く感じた。とりあえず持って行ったキャッシュでなんとか間に合って、ホッ。

 ヒューストンでの乗換え時間が1時間しかなかったけど、“Transit”と騒いで、無事通過。帰りの機内も映画と睡眠で快適、快適。もちろんマスク着用。帰りはカンクンのホテルを出てから、家まで24時間半でした。